薄汚れた昔ながらの磨りガラスはもう嫌!

ground_glass思春期は心と体のバランスが崩れイライラすることも多くなると、先日の講演会で保健体育科の先生がおっしゃっていたけど、まさに今、我が娘はそんな感じです。期末試験と英検の二次試験が重なり、どっちの対策に集中すればいいのか決めかね、結局全く関係ないことで時間を費やしている始末。見かねて私がちょっと声をかけると、烈火のごとく怒りだします。一度火がつくと、不満や暴言はもう止まりません。箸が転んでもおかしい年ごろではなく、箸が転んでもイラつく年ごろなのです。

今日は特に、言ってもしかたのない、環境についての不満が爆発しています。トイレのドアの開きが悪いとか、薄汚れた昔ながらの磨りガラスはもう嫌だとか。昔ながらの磨りガラスは改築した離れにある娘の部屋にはなく、築50年の母屋にあるものですから古くて当たり前です。娘になんの迷惑がかかるというのでしょうか。でも確かに、掃除が行き届いてないというよりは、古くてもうどうにもならない、薄汚れたガラスです。薄く冬場はガラス越しに冷気を感じますし、窓ガラスのある場所も、なぜここが磨りガラスなのだろうかと、以前から疑問に思っていた場所です。

母屋の方はまだ改築できる経済的余裕がないのですが、ところどころメンテナンスをするのは、必要なことです。毎年どこか少しずつ補修をしているのですが、今年は窓ガラスの交換も、考えてみるべきかもしれないと思いました。娘のワガママに応じたと思われるのは心外ですが、窓ガラスの交換くらいだったら、メンテナンスの中でもそこまで高額にはならないと思います。交換したい窓ガラスは他にも何か所かあるのですが、まずはこの磨りガラスを普通の、透明で強度も高い、今時のガラスに交換したいです。そうすれば娘だけじゃなく、私自身も気持ちが晴ればれするのではないか。そんな風に思います。